地面 ここで粘れる、 少し粘れるってね

地面を想像すると粘れる気がするんです、もう少し

余計なことを考える病気

彼(私)は

余計なこと、特に仕事上の不安な事柄、他者の悪感情等を拾い集めてくるのが得意だ

 

彼(私)は

留金の外れた想像力(余計なこと、他者の感情

への忖度等)を持て余している

溢れる想像力を堰き止める力がない

他者の想い(と自分が想像している思い込み)を勝手に呼びよせ、翻弄されている

 

比例するように

「今、ここ」への集中力が失せ

「今、ここ」を見失う

 

もちろん余計なことを考えることは

イデアの源となり、

価値に貢献することもある

 

反対に

断捨離や

人間の欲望から作り出したモノ=被造物

からの離脱を説く教えの如く

執着を捨て

目前の課題に集中しclearにする

 

欲張りだが、どちらも捨てがたい

 

さてブログを書くことは余計なことか?

もちろんそうだ

 

ただ

ブログで

自分自身のある時期の実像を描き、

文字として固定する

後日

固定され、浮き彫りになった

恥ずかしい自身の特徴を

読み込み

今後の指針を得ようとする

 

そこまででなくても、

他者と共感できたらと微かな願いを託す

 

ただ自分自身に止まりつつ

余計なことを考えることは

大切なことだ

と思いたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間ケチ

○月曜日の朝、目覚めた瞬間に気持ちよく起きることができない

 

 外に出て行き社会の噴流を浴びたくない

 資本主義の噴流に晒された

 自身の醜態を感じたくない

 

○知人との約束時間に1時間も早く到着する

ことはしない

 

 知人等に貴重な時間を贈与することが嫌

 =ケチだから

 否

 1時間、自身の身体を持て余し、

 イライラ、虚無とつきあうのが嫌だから

 

どちらの疎外感にしても

私の時間ケチを支える核へ

拒絶反応を感じながら

 

その結果はともかく、とりあえず

粘り強く付き合い続ける理念が必要だと感じた

その時

全てを受容してくれる

地面

這い上がるor這いつくばる基準となる

地面

のイメージが浮かんだ

 

地面という基準を想像すると

ここで、粘れる、

少し、粘れる

ってね

 

ブログ名の由来です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実現してしまったとんでもない平等

日本の資本主義社会が

意識世界において実現してしまった

 人間の平等、対等

という

当たり前だが、恐ろしい真実に

気がついていない人が

ハラスメントや対人暴力、虐待等を引きおこすおそれがあると思う

 

子どもと親、男と女、若い人と高齢者

先生と生徒、社長と社員、生産者と消費者

異性愛と同性愛、ペットと人間、

政治家と選挙民・・・

 

現実の諸関係では、今も上下、貧富の差、差別が客観的に厳然とあり

社会秩序を強固に、又、偶然に

構成している

SNSの普及は対等、平等を一気に推し進めた

と思う

 

対等、平等になったんだと

全ての人が思いきれば

少なくとも

ハラスメントや暴力等の原因の一部は

解消に向かうのでは

 

金持ちだから

政治指導者だから

社長だから

大学教授だからと

どこかに

自分は、

偉いんだ

という特権意識、潜在意識

が残っていると

平等に振る舞われることが許せず

ハラスメント等の引き金となるのでは

 

社会が分断されたのではない

対等な者同士を

どう社会に包む込むか分からないから

相互の争いが起きる

 

現在、力瘤を入れて平等を主張する人は虚しい

人々の意識の奥底では、

既に誰しも平等や対等を承認しているが

プライドにより、そこを認めたくない人が

悲劇を引きおこす

 

ただし

私は人見知りをする

相手より、自分は上か下かが 

とても気になっている証拠だ

どこから、その意識は来るのかわからないが

恥ずかしながら

人を上下関係で見つめる無意識は、私の中で

強く残っており、払拭できていない

 

(なんだ、そうなんだ🆖)

 

平等、対等とみなせば

人見知りは一挙に解決できるはずだよね

理論的にはね!

そう簡単ではないと思うけど

 

 

 

 

 

専業主婦の栄光と資本主義

死語になりつつある専業主婦という言葉

かっては、

 子どもたちの寂しさに寄り添い

 家庭の隙間を埋めてくれた

 

今も生き、耐えている言葉なのか

 

(別に主婦でなくても主夫でもいいが)

 

昼下がり、我が子たちと

軒端や階段、公園で遊んで

近隣主婦と夫の悪口などで息抜きし

生産と消費のサイクルに耐えてきた

 

家事育児にいそしむ、そのcrack(隙間)に

 

資本主義が囁く

 あなたも男性と同じように働き

 女性の視点を生かさないか

 

 家庭から出て、男性と肩を並べて

 社会に参加し力を発揮しないか

 

 早く決断しないと置いてきぼりになるよ

 

と強迫されて

 

資本主義がカバーできない大切な隙間を

専業主婦は担ってきたというのに

 

その隙間を癒してきた栄光は、

今やその座を何に譲りつつあるのだろう

 

停滞を許さない資本主義から追い立てられ

消失しようとしている専業主婦が自問自答する

 

(私の買いかぶりかもしれないが)

資本主義が生み出した

庶民の孤独、苛立ちに

ひっそりと立ち向かい

今や消失しようとしている

戦士であった専業主婦の栄光は

 

今どこにいったのだろうと

 

 

 

二つの魔物

地上に投げ出された無垢な心に

二つの魔物が待ち構えていたそうな

 

一つ目は親の愛だよ

親に依存している乳児に許されていることは

親の愛に翻弄されても

しがみつくことしかないよね

 

後日

それが、親への愛着後遺症となり

自身にまとわりつくことになるとはね

(面倒くさ!)

 

🆖

思春期の私、親の期待を敢えて裏切り

進路を決めた

親への仕打ちじゃないか、大人気ないよね

 

二つ目は、社会性という魔物だよ

市民社会そのものではなくて

親や教師とかの心に巣くう

社会性という魔物のことだよ

無垢な心はね

魔物を模倣して、スクスクと心を成長させ

雁字搦(がんじがら)めになっているのに

気づかない悲しい物語なんだね

 

🆖

トイレに行きたいのに、自身の生理現象

がバレることが、恥ずかしいーと

我慢し続けて便秘になったことがあるよ、

滑稽な私の社会性😣

 

 

でも、歴史上、笑えないのは

愛着と歪んだ社会性が結合して

戦争を好む独裁者が誕生したこと

(現在進行形だよね、恐ろしいことだね😨)

 

この二つのバケモノ、魔物から

揉みくちゃにされた反動として

私も含めて

無造作に反発するのは・・・

同情しますが

お人好しです

(敵の思う壺ね)

 

あるがままの自分から

簡単に出ていかないこと

それが価値であることに気づくこと

(格好つけですが)

 

ようやく人生後期に気づくらしい

(後悔😢)

ネコは退屈か?

犬と比較して、

 

ネコは自足、自律している?

敢えて人間の関心を惹こうとしない?

我が道を行く?

日向ぼっこして満足?

 

逆に、我が家の犬は、

人間が相手しないと退屈そう

家人が不在の時はどうしているのだろう

と心配

 

そして

私たち人間は

退屈な時に耐えられず刺激を求める

退屈な時=自身の醜態に直面する時

だからだ

飽くなき刺激は醜態から目を逸らすよう

我々を誘う

煩悩?  

 

それでは駄目と、お釈迦様や道元

座禅を組み

瞑想し

煩悩からの離脱を試みた

外界から五感(脳)への刺激を断ち

離脱を手にしようとした

 

凡人は、それもかなわず

刺激=煩悩

に翻弄される

 

ネコは、人間の様子を斜めに見ながら

どう感じているのか?

 

私たちは、ネコに向かって

無邪気にかわいいと呟くしか

芸がない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動画に負けない!②

私の好みに過ぎないが、女性の低音voiceは

魅力的だ

沁みわたる低音の美しさ、声の艶に

聴覚が反応する

 

そもそも声は、その人の個性そのもの

AIが模倣しているが・・・

 

さらに、しゃべり方、口調は、

耳の底に、しっかり残り、

へんな話し、その人が亡くなった後も、

面影と一緒に明瞭に残っているほどだ

 

我々の個性は、世界から追い詰められ

どこかに居場所

を探している

 

個性は、殆ど、模倣

にしか過ぎないけれど

 

我々の口、鼻、耳、舌、皮膚、指、手足、胃腸、心臓、声帯・性器、皮膚、表情等は

それらの差異をベースにした

個性を主張している

 

ブログは細々と個人の感想を描きながら

社会や家族の深淵を引き連れてくる

動画に負けない!