地面 ここで粘れる、 少し粘れるってね

地面を想像すると粘れる気がするんです、もう少し

心が悲しまされる限りその人の在り方は正しいとは言えない

憐れみとは、人が自分自身の外へ出て、 同胞の窮地へと赴き、それによって自分の心を悲しませることにほかならない

なるほど ここまでは普通ですが、ここから先が 見出し部分の中世異教徒の言葉

心が悲しまされる限りその人の在り方は「正しい」とは言えない です。

えっと驚きますが、ここからは、私の解釈です。 他人の窮状に同情する等、原因は様々、気分が動く(悲しむ等)ことは当たり前だとしても

喜怒哀楽、どのような気分であれ その気分の固定、居つきに関心を奪われず 即、解体を目指し ZERO=気分の起こる前の状態 に差し戻すこと

その時 見える風景こそ追求に値するなにかではないか。 マンガ、ゲーム、小説、ドラマ、TikT Tok、そして人生でも 気分を動かすストーリー、ドラマの展開に目を奪われず、そこは無視して、 1コマの絵、1センテンス、1カットに集中し、良し悪しを検討し、壁を超える「労働」をすること そこを対象とする労働価値を知らないため 虚しくTikTokなどで提供される物語に振り回され、目や心を奪われる

物語がないことをつまらないと見なす 我々の惰性、これは恐ろしいことなのだと思う