地面 ここで粘れる、 少し粘れるってね

地面を想像すると粘れる気がするんです、もう少し

父の戦争

父は、日中戦争で大陸に渡り、二等兵で中国各地を行軍。飢えて村の食糧を奪ったことがあったという。

行軍に病気で、ついていけなくなった時、手榴弾で自害する兵もいて、父もお腹が痛くなり、行軍についていけなくなったことがあったが、友に励まされ、行軍から脱落せずに、命拾いしたという。

父の話しから、戦争でお腹が痛くなると死ぬんだと私は短絡した

実際、父はその時のことをあまり語らない、語れなかったのだろう。 占領地域で兵士が何をするか、極悪非道に加担したくなくても、その決意など当てにならないと呟いていた

その後、父は、無事に日本に帰還したが、今度は、日常生活の戦争が始まった。 銀行員から商売人、サラリーマンと転退職し、家族をなし、大病を患い・・・それでも活気ある昭和を謳歌した

父の死に際、意気地なしの私は、病室で父のベッドの周りをウロウロしていたら、母から、どこにいるの(最期のお別れよ。ベッドに寄って来て)と声をかけられた 父の死を直視できず、受け入れられなかった

父(庶民)にとって、戦時中の「見える敵」と平和な社会生活での「見えない敵(不安)」との闘い、どちらの戦争が大変だったのだろう 比べられないが、つい比べてしまう

そして、今、僕たち、その子どもたちを襲う平和な日本社会の日常で、繰り広げられる「見えない敵(不安)」との戦争に

痺れを切らし、人の良い、無防備な哀しい姿を曝け出すのは、

誰だ