地面 ここで粘れる、 少し粘れるってね

地面を想像すると粘れる気がするんです、もう少し

心が悲しまされる限りその人の在り方は正しいとは言えない

憐れみとは、人が自分自身の外へ出て、 同胞の窮地へと赴き、それによって自分の心を悲しませることにほかならない

なるほど ここまでは普通ですが、ここから先が 見出し部分の中世異教徒の言葉

心が悲しまされる限りその人の在り方は「正しい」とは言えない です。

えっと驚きますが、ここからは、私の解釈です。 他人の窮状に同情する等、原因は様々、気分が動く(悲しむ等)ことは当たり前だとしても

喜怒哀楽、どのような気分であれ その気分の固定、居つきに関心を奪われず 即、解体を目指し ZERO=気分の起こる前の状態 に差し戻すこと

その時 見える風景こそ追求に値するなにかではないか。 マンガ、ゲーム、小説、ドラマ、TikT Tok、そして人生でも 気分を動かすストーリー、ドラマの展開に目を奪われず、そこは無視して、 1コマの絵、1センテンス、1カットに集中し、良し悪しを検討し、壁を超える「労働」をすること そこを対象とする労働価値を知らないため 虚しくTikTokなどで提供される物語に振り回され、目や心を奪われる

物語がないことをつまらないと見なす 我々の惰性、これは恐ろしいことなのだと思う

スケジュール管理は未来を狭める?

スケジュール管理を的確にされている 知人が羨ましかった

私は、生理的にスケジュール管理は苦痛で、 受け付けなかった

自分の将来の自由を拘束し、 未来の選択肢を奪うもの、狭めるものと 根拠なく決めつけいた

一コマ、一コマ、スケジュールを検討し 決めていくことは、 価値と呼べるはずなのに、 未来を狭めるのではなく、 むしろ、豊かにするはずなのに、 頭では分かっていても 生理的に撥(は)ねつけていた。

そして 行き当たりばったりを 成り行きまかせや波乱を望む 自分がいた。

スケジュールに対する生理的感覚の差は、 人の一生にとって決定的なのではないか と、いまさら思う

父の戦争

父は、日中戦争で大陸に渡り、二等兵で中国各地を行軍。飢えて村の食糧を奪ったことがあったという。

行軍に病気で、ついていけなくなった時、手榴弾で自害する兵もいて、父もお腹が痛くなり、行軍についていけなくなったことがあったが、友に励まされ、行軍から脱落せずに、命拾いしたという。

父の話しから、戦争でお腹が痛くなると死ぬんだと私は短絡した

実際、父はその時のことをあまり語らない、語れなかったのだろう。 占領地域で兵士が何をするか、極悪非道に加担したくなくても、その決意など当てにならないと呟いていた

その後、父は、無事に日本に帰還したが、今度は、日常生活の戦争が始まった。 銀行員から商売人、サラリーマンと転退職し、家族をなし、大病を患い・・・それでも活気ある昭和を謳歌した

父の死に際、意気地なしの私は、病室で父のベッドの周りをウロウロしていたら、母から、どこにいるの(最期のお別れよ。ベッドに寄って来て)と声をかけられた 父の死を直視できず、受け入れられなかった

父(庶民)にとって、戦時中の「見える敵」と平和な社会生活での「見えない敵(不安)」との闘い、どちらの戦争が大変だったのだろう 比べられないが、つい比べてしまう

そして、今、僕たち、その子どもたちを襲う平和な日本社会の日常で、繰り広げられる「見えない敵(不安)」との戦争に

痺れを切らし、人の良い、無防備な哀しい姿を曝け出すのは、

誰だ

表札のない家

昼間、犬の散歩中、戸建てのマイホームが立ち並ぶ一画を眺めると、人気がなく、表札がない(はがされている?)数件の家が気になった

数年前は、家人の声が賑やかに響いていたろうに 今は、草がのび、窓は閉め切って、風通しもなく、室内の痛みが激しいのでは 住宅ローンが残り、相続人もいないのでは 施主は希望に満ちて、マイホームを建てたはずなのに と勝手に想像を逞しくした

ところで、30年位前、私たち家族が住んでいた4階建の団地が近くにあった 団地の階段を昇降しながら、子育てをしていた時が愛おしい 今は更地となっている ツワモノ(兵)どもが夢の跡か

今、私の住んでる家は、お陰さまで、家人とペットが使ってくれているのが嬉しい

既に子どもは成長し家を出た 子どもは、よく家を使ってくれたと思う 一時的に帰ってくる子どももいるが・・・

自分を含め、あと何年、誰が使うか分からないが、我が家の傷みを修繕しながら使うことになるだろう

自宅で死ぬ(天寿を全うする)ことは、望めそうもないので、いつか、この家ともお別れだ

断捨離とは言うは易く、住めば傷んだ家でも、快適で離れがたし

借家であれマイホームであれ、高齢要介護となり、自宅から引き離されれば、認知になるのではと思う 認知の正常性は、住み慣れた家で生活することで保たれていると思うから

そういえば、三匹の犬も我が家で見送った 彼らに逝く場所を提供できたことが嬉しい

幼児期、隣家のよく遊んでくれたお爺さんが亡くなり、親と通夜に行った 布団に横たわっているお爺さんの両足首が硬直し、突っ張っていたのが忘れられない

今は お爺さんは、自宅で安らかに永眠できたのだと 喜ばしいことなんだねと 思う

果てしない神への弁明

公共の場で

拒否され、弾(はじ)かれ

面子を潰(つぶ)された時など

 

私の身体は、

 目は虚(うつろ)い

 胸は圧され

 喉はヒリヒリと

 表情は能面(のうめん)と化し

 胃の襞(ひだ)は痛み

metamorphose(変容)していた

 

 

気分は

悔恨がふくらみ、蠢(うごめ)き

漆黒(しっこく)化した

 

素直にhelpと呟けばいいものを

無惨な気分を悟られまいと

能面様の私は、言葉を饒舌に紡(つむ)いでいた

もう本心を悟られて

素になりたかったのに

 

何がおしまいか分からないが

「それを言っちゃおしまい」と

私の神が囁(ささや)くので

強張る姿勢を、私は崩すことができなかった

 

その時、何かに耐えている私の脳裏に

 

「対等」という平凡なWordが閃(ひらめ)いた

 

いい人だねと思われたい欲動をかなぐり捨てて

醜態を曝け出す決意で

神への弁明も捨てて

どんな相手、状況であろうと

上下関係を入れずに

ガチで

五分五分で

外連味(けれんみ=ハッタリ)なく

まみえることから始められたら

 

私のphase、社会的に置かれた状況は

打開できるかもしれない

 

ただ

打開できたとして

サクレだった気分は

消失しない

神への弁明も断続的に続く

 

 

 

 

 

ウチマに入れるか

剣やボクシングで戦う時

剣や腕のreachが届きそうな間(距離)を

打ち間=ウチマとする

相手を打てる距離(時)は

逆に相手から自分も打たれる距離(時)だと

自分が安全な所にいては、相手を攻撃する

ことはできないと

教わった

さて

野球のピッチャーとバッターとの関係

について応用してみる

ピッチャーはストライクゾーンを

攻めてこそ、バッターも反応する

はっきりボールと分かれば

バッターは振らない

ピッチャーの攻めとは、そういうことだと

思う

打たれるかもしれないし

打ちとることができるかもしれない

意識してギリギリのポイント(ウチマ)に

ボールを制球できるピッチャーが

一流だと思う

また、恐怖心が強いと身体が硬直し

本来のウチマに誤差が生じる

ウチマは、気分に左右される

スポーツ観戦には、ウチマの理解が必要だ

同棲愛のその後

今、同性愛は制度的問題として

注目されているが

私は

どのような愛であれ

始まった愛のその後の同居、同棲生活のほうが

気になる

同棲者が相手に抱く想いは様々だとして 

当初の高まった愛の感情や欲動が

cool downし

同性愛、異性愛を問わず

時の経過とともに

個性やegoがはっきりと浮き彫りとなり

異和感を感じるようになる時

ここから

愛が時の経過に耐えられず

解体に向かい

同棲とは何かが

冷静かつ真剣に問われることとなる

そして

pair、親子間で繰り広げられた

同棲者のdramaの結末の一端を

報道で垣間(かいま)見る時

同棲者は

自分に降りかかった出来事のように

衝撃を受ける