「はるかぜ〜抄」 中原中也
①家が建つ①家が建つ
②僕の家ではない③けれど
この詩の一節は、誰にとっても「僕の家ではないが、家がどんどん建つ」くらいの「意味」だと思います。私には、社会から脱落しつつある自分を憐れみ、皮肉っているように感じられます。
感想はさておき、
中也になりすまして、彼が作業した?ことを列挙します
まず、
ア 詩句の順序を入れ替えます。
①→②③→①
②③→①→①
①→①→③→②
などとなり、意味は、ほぼ同じでも、それぞれ、リズム、ニュアンスが違うことが分かります。順序を入れ替えることで、表現したいものにより近づけるかもしれません。
また
イ ①①②③の順序は変えずに最後の接続助詞③「けれど」を→「のに」「が」「けどね」
などと置き変えてみましょう。ニュアンスや文章の表情が違ってきます。
ここから、接続助詞は意味にはあまり影響は与えないものの、ニュアンス、余韻には大きな影響を与える言葉になるのではと考えられます。
ウ 上記の作業においては、一人声を出して詠む、ソランジルことで、ニュアンス等の違いがより鮮明になることに気づきます。ニュアンス等は、個性であり、感情ですので、ソランジルことにより自分の声、声帯などが関与し、個性の違いが際立つのです。
エ 詩の原文は、①の前に感嘆詞「あゝ」を挿入しており、「あゝ」が①へ懸かって強調されると同時に、②③の句の落胆の気分も増幅される仕掛けになっています。
オ 氾濫する動画も個性の差異、リズム、美を追求していますが、書くことは、意味や意味以外のニュアンスなどを駆使して、個性や美、気分を主張することになります。